『いま歴史とは何か』

某研究会で報告した際のメモ書きを蔵出しアップいたします。序章についての読書感想です。


いま歴史とは何か (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

いま歴史とは何か (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

[Cannadine,d.(ed.),What is History Now ?,Palgrave Macmillan,2002]

E.H.カーを読んだのははるか昔の学部生の頃のお話。しかも、斜め読み。「過去との対話」とか、思い出すフレーズはあるのだが、カーが提起した「歴史」のインパクトの大きさとその意義、そしてカー自身の歴史的スタンスについて知ったのはこの本を通じてのことだった。

 ホイッグ的感性との明朗なる決別、これこそがカーの意義であり、そこから派生した社会史への大きなシフト、隣接諸科学との協働による、「もっと科学的」な歴史学の追求が『歴史とは何か』が歌い上げた「60年代のニューヒストリー」の地平だった。序章が提示したのは60年代のそうしたスタンスに対する批判的な検証と00年代版ヒストリーの現在、そして現在のヒストリーにおけるE.H.カーの遺産についての検証といえるだろうか。60年代の社会史からはじまる「ニュー・ヒストリー」が80年代末の政治の退潮、言語論的転回、ポストモダンとの闘争を経て、現在隆盛を極めている「文化史」的アプローチに至るまでの「歴史」をめぐる天路歴程をさぐることが序章の目的となっている。
 多くにはふれないが、筆者R.J.エヴァンスのアプローチで最大の特徴となっているのは、「歴史」を支えるものたち、あるいは「歴史」解釈に変動を促す動因への冷静な眼差しのようにおもわれる。なによりカーの著作は大衆高等教育のテキストになることで、ばつぐんの影響力を誇示した。そして現在、アカデミズムの中で歴史学は危機にさらされ、また学校教育の中でもその意義は疑問視され、退潮に瀕している。しかし、一方でTVメディアのなかで「歴史」は「新しい庭いじり」と揶揄されるまでに一大ブームを巻き起こすジャンルになった。アカデミズムとメディアによる大衆化、この両点の間を「歴史」は漂っている。しかし、両者は「歴史」の所有をめぐって争っているわけではない。精選されたアカデミズムの中からメディアで取り上げるにふさわしい歴史がマス・メディアを通じて報じられる。「精選されたアカデミズム」を支える莫大なコンテンツ/コンテクストはどこへ向かうのか、メディアに選別される「歴史叙述」はどこに向かうのか。それらは今後イギリス社会の中で問われてゆくのだろう。